生きていれば、誰しも1度は挫折や絶望を感じることがあります。
- 信じていた人に裏切られた
- 努力が報われなかった
- 生きる希望を失った
今回は、生きることに絶望した28歳OLのちょっとヘンテコな経験を描いた小説「瑠璃色の涙」(泉ウタマロ)を参考に、人生に隠された意図と光の話をしたいと思います。
- 挫折して立ち直れない方
- 絶望感でお先真っ暗な方
- 生きる希望を失った方
この記事を最後まで読むことによって、暗闇からの出口を見つけるヒントを得ることができるでしょう。
絶望を希望に変えるための話です。
それでは、はじめていきます!
瑠璃色の涙〜あらすじ〜
瑠璃色の涙を読んだことがない方へ向けて、簡単に本の内容を紹介したいと思います。
- 物語の主人公は28歳のOL凛花(りんか)
- 彼女はあることがきっかけで、自分をこの世から消してしまおうとします。
- 意識体となった凛花はそこで不思議な体験をします。
- 「死」は終わりではないことを知る凛花。
- 彼女がたどり着いた人生の隠された意図と光とは?
スピリチュアル要素がある内容ですが、本質的なことが多く、読むと心がスッキリと晴れます。
毎夜、居酒屋「コンチキ屋」に集う悲哀漂うオヤジたちの話は、ぜひ、読んでいただきたい内容です。
不幸の自慢大会のようになっていますが、悩みながらもそこから這い上がる過程が綴られていますので、現実の世界に生きる僕らにも参考になる部分は多いです。
人生に隠された意図と光
瑠璃色の涙から学んだことはいくつかありますが、今回は、人生に隠された意図と光の観点から厳選した3つを紹介したいと思います。
- 将来役に立つ要素が一体なんなのか、前もってはわからない
- 心は正解を知っている
- 物語には続きがある
将来役に立つ要素が一体なんなのか、前もってはわからない
こんな辛い経験するくらいなら死んだほうがマシ…
人生は時に残酷で辛い現実を僕たちに突きつけてくるものです。
- 信じていた人に裏切られたり
- 努力が全て水の泡になったり
- 大切な人を失ったり
将来に対し、絶望の瞬間を何度も経験してきた僕ですが、振り返ると、あの時の経験があったからこそ「今」の自分がいる、と思えます。
もちろん、当時は、この経験がいずれ将来に役立つ、なんてことは1ミリも思えませんでしたけど…
一見、無駄な経験だと思えることが、実は数年後、数十年後に花開くこともあるんです。
「そんな気休めや精神論なんかで、私は救われない」と、暗いトンネルの中にいる人ほど思うのですが、将来役立つ要素が一体なんなのか、前もってはわからないことだけでも覚えていただけたらと思います。
未来の自分から振り返れば、あなたの「今」の経験は決して無駄ではなかったと言える日がやってくるかもしれません。
今は信じなくても構いませんし、実際、僕があなたの立場であれば信じられなかったと思いますが、あなたの経験1つ1つが大切な未来の自分を形作るピースであることを覚えておいてください。
どんなに不規則な形や、歪な形や、ダサいピースだったとしても、いずれパチっとハマる瞬間は必ず訪れますので…
心は正解を知っている
人生で迷ったら心がときめく方へ進め!と聞いたことがある方もいると思います。
「ときめく」なんて曖昧な言葉で人生を決めてもいいの?
と、疑問に感じる方は、理屈や常識、知識や論理が好きなタイプなのでしょう。
「俺は目に見えるものしか信じないんだ!」という唯物論者に多いです。
けれど、たとえばあなたが学生時代に好きになった異性は、どうして好きになったんですか?
彼女(彼)のどこを好きになったのでしょうか?
おそらく、なぜ好きなのか?を言葉でうまく説明できる人は少ないはずです。
なぜなら、好きとは抽象的で曖昧なものであり、うまく言語化できないからです。
一方で、嫌いな人はなぜ嫌いなのか?スラスラと具体的に言葉が出てくるはずです笑
- 好きは抽象的。言葉にして表すことが難しい。心で感じるもの。
- 嫌いは具体的。言葉にして表すことができる。頭で感じるもの。
学校教育を真剣に受ければ受けるほど、長い時間勉強すればするほど、僕らは常識人間になっていきます。
常識人間とは、正解を作り出すことでそれ以外を認めない人のことです。
よく言えば真面目。悪く言えば融通の利かない人です。
常識人間に対して、
「心は正解を知っているから心がときめく方を選択しよう!」
などと言えば鼻で笑われるだけでしょう。
「脳内お花畑ですか?」ウフフフと。
では、言葉を変えてみましょう。
心は正解を知っているというのは、言い換えると自分の直感を信じろ!となります。
頭で考える人ほど、優秀と言われる人ほど、時に過ちを犯してしまうのは、自分の直感を無視し続けてきた結果です。
- 本当は勉強なんてしないで友達と遊びたい
- 本当は女性と付き合いたい
- 本当はもっと稼ぎたい
本音がある、ということ自体が、あなたがすでに答えを知っている、ということです。
以前、僕は人生相談のようなものを依頼されていたことがあります。
当時の相談者は女性が多く、彼女たちはそれぞれ悩みがあるから僕のところへ相談へやってくるわけですが、実はすでに相談に来る段階で、彼女たちは答えを持っているんですよ。
分からないから相談に来たんじゃないの?と思われる方も多いと思いますが、実は背中を押してほしいから、という本音が隠されているんですね。
心は正解を知っているのであれば、あとは素直に従うだけなのですが、それを邪魔するものがいるんです。
それが知識です。
知識は多ければ多いほどいいと考えていた時期が僕にもありましたが、知識は増えすぎると行動を遅らせてしまうんですね。
知識が増えた結果
- これで本当にいいのか?
- 間違いではないのか?
- 後悔しないのか?
選択肢が増えることによって、決断の回数も増えるからです。
直感は神の領域であり、僕らに進むべき道を教えてくれるのですが、頭がそれを邪魔します。
ですが、好きをうまく言語化できないのは、それこそが好きな証拠であり、なぜかこっちを選択した方がいい気がする、というのもうまく言葉にできないものなんですね。
直感をうまく言語化できてしまう場合は、それは心に従ったのではなく、頭に従った証拠です。
物語には続きがある
「死」によって人は「無」になる。
だからこそ辛い経験をされた方は、時に人生を「無」にして楽になろうと考えます。
ですが、物語には続きがあるように、僕らの人生にも続きがある、という考え方が僕は好きです。
生まれ変わりの研究も最近は行われており、死は終わりではないことも明らかになっています。
なんでもかんでも、今世に全ての問題を解決することはできません。
僕らは、問題解決すれば、悩みから解放されると思うのですが、問題は解決しても、また新しい問題が次から次へと出てくるんですね。
全ての問題を解決するには、時間が圧倒的に足りないんです。
だからこそ、僕らは何度も何度も生まれては死んで、死んでは生まれます。
怪しい宗教のような話だと思われた方は、ここで読むのをやめていただいても構いませんが、物語は今世だけでは完結しないことだけでも覚えていただけたら幸いです。
言い換えたら、
- 失敗続き
- 挫折だらけ
- 絶望の連続
その過程で死んでしまったとしても、物語はそこでは終わらず続きが始まる、ということです。
人は誰しも歳老いて死に向かう生き物ですが、たとえ死が目の前にあるとしても、物語はそこで終わるわけではないので、本当は失敗しようが、挫折しようが、絶望しようが、遠い未来の自分の経験値となって花開く日はやってきます。
「死」をゴールだと考えないからこそ、焦らず慌てず、人と比較することもせず、自分らしく生きることができるようになります。
瑠璃色の涙から学んで僕が実践したこと
たとえ小説だろうが、現実に応用できそうなことは、なんでも取り入れるのが僕のスタイルです。
ここからは、瑠璃色の涙を読んで僕が実践したことを紹介します。
- 自分の直感に従い行動するようにした
- ありのままの自分で着飾らないようにした
- 相手の幸せを祈るようにした
自分の直感に従い行動するようにした
それまでの僕は、頭で考えてから行動することが多かったのですが、瑠璃色の涙を読んでからは自分の直感を信じてすぐに行動するようになりました。
- 今までの僕→やってみたいけど失敗したくないからまずは徹底的に準備をしてから始めよう
- 今の僕→ダメでもいいからとりあえずやってから考えよう
頭で考えれば考えるほど、メリットやデメリット、損得、リスクなどを考慮するようになります。
その行為自体は、決して悪いことではありません。
ですが、ウダウダ考えている間にも、時間は待ってはくれないんですね。
ありのままの自分で着飾らないようにした
恥ずかしい話ですが、内向的な性格を外交的な性格に変えようと努力した時期がありました。
けれど、どこか違和感が残り、それは現実に病気という形になって自分の体に現れました。
瑠璃色の涙を読んでからは、ありのままの自分で勝負して、それで嫌われたら仕方ない。
嘘偽りの自分を演じて好かれるよりは100倍マシ!と考えるようになりました。
- 今までの僕→本来の自分を偽り偽物の自分を演じることで好かれようとしていた
- 今の僕→ありのままの自分で嫌われたら縁がなかったと思い着飾ることをやめた
性格は、神様から与えられた唯一無二の個性です。
内向的だから悪い、外交的だから良い、と考えるのはあくまで偏った見方しかできない自分の問題であり、物事には必ず光と陰、メリットとデメリット、長所と短所があるものです。
相手の幸せを祈るようにした
不思議なんですが、相手の幸せを祈るようになると人付き合いに変化が訪れます。
具体的には、相手の良いところがどんどん見えるように、浮き彫りになってきます。
その結果、相手と良好な関係を築けることが増えます。
- 今までの僕→この人嫌い!だから関わらないようにしよう!
- 今の僕→この人にも幸せになってほしい。そのために僕に何かできることはあるかな?
誰もが幸せになりたい!と望んでいます。
不幸になりたい!と思っている人と出会ったことは1度もありません。
そしたら、相手の幸せを祈る行為が、少しでも相手が幸せになるために貢献できるのではないか?と感じるようになりました。
祈りの力は目に見えないものだけに、科学的な根拠やデータが好きな方にとっては嫌われる行為なのですが、どうしようも人知が及ばない出来事に遭遇した時に、僕らはこう叫ぶはずです。
「どうか、神様お助けください!」と、両手を握り目を瞑って、必死に祈るのではないでしょうか?
まとめ:暗闇から抜ける道へのヒントは自分の心の中にある!
暗闇の出口の見えない道ほど怖いものはありません。
- あとどのくらい道が続いているのかも分からない
- いつまで暗闇が続くのか分からない
そんな中で出口へ通じる道を必死に探そうと僕らは光を求めますが、残念ながら暗闇のどこを探しても光は見つかりません。
なぜなら、光は外ではなく自分の心の中にあるからです。
自分の心は正解を知っています。
- 本当の自分はどうしたいのか?
- 本音ではどう思っているのか?
直感に従い行動を阻害するのは、あなたの頭であり、頭の中に豊富に詰め込まれた知識です。
その中には、他人の言葉も詰め込まれています。
常識に従い、暗闇から抜け出せるのなら良いのですが、そもそも常識を信じて自分の直感や、素直な気持ちを無視し続けた結果、出口の見えない暗闇へ突入したのではないか?と疑うことも大切です。
常識を信じた結果、幸せになれないとすれば、その常識は今すぐに捨てるべきです。
正解は、他人の言葉の中にあるのではなくあなたの心の中にあるのですから。
暗闇の出口を抜けるヒントは、「で、本当はどうしたいの?」です
少しでも参考になる部分があれば幸いです。
最後までご覧いただきありがとうございました!
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